もう16年前に書いたものですが、今でも愛着のある作品です。
『玉姫殿』という当時の名物BBサイトに寄稿したのですが、初めて書いた長編小説で、しかも時代物。
結構古い資料を読んで勉強しながら書いたという意味では、後の古代史モノとか『悪霊』の原点にもなった作品です。

http://kekeo1964.web.fc2.com/kaika1.pdf 
http://kekeo1964.web.fc2.com/kaika2.pdf
http://kekeo1964.web.fc2.com/kaika3.pdf
http://kekeo1964.web.fc2.com/kaika4.pdf 


発想の元になったのは、エピグラムでも示しているように、勝海舟の『氷川清話』にも出てくる、色仕掛けで男を誘っておいて、睾丸をひねり潰して殺して金品を奪っていた女のエピソードと、石川淳の『白頭吟』に出てくる「きんたまお藤」という女盗賊、この二人をヒロインとして、当時(歴史雑誌の編集をしていました)、仕事で調べていた明治初期の廃藩置県を背景において書き上げました。

その頃、携わっていた歴史雑誌は、もうとっくに廃刊になっちゃいましたが、なにせお金のない貧乏な雑誌でした。有名人の名前を目次に出したくても書いてくれないから、口述筆記という手段を取りました。1時間くらいいただいて喋ってもらい、それを文章に作り直すわけです。安い原稿料でも書いていただける筆者の原稿は、やはり安い原稿料でも書いていただけるだけあって、レベルが低く、結局、自分たちで書き直さなければならなかった。書き直すにしても、いわゆる「てにをは」を整えるレベルでは足りず、一次資料まで遡って確認する必要があったわけです。国会図書館のようなライブラリーに出かけていって、原稿と、原稿の元となった資料を読み比べて、修正するんです。

そうした作業のなかで、出会った一枚の写真が↓でした。


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明治維新から程ない明治4年、明治政府は5人の少女たちをアメリカに留学させます。近代国家を歩み始めた日本は、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文という新政府の大立者を代表として、当時のエリートたちをよりすぐって欧米見学の大使節団を結成し、足かけ3年にわたって欧米を視察させます。帝国主義の時代の生き残りをかけた必死の戦略だったのですが、その使節団のなかに、12歳の大山捨松を長として、最年少は7歳だった津田梅子(津田塾大学創始者)ら5人の少女たちが混じっていました。

近代国家にふさわしい女性を育成するため派遣した彼女たちは、みな、明治維新で敗者となった旧幕府方の子女でした。それだけ、女性の海外留学は、未知の、危険なミッションだったのですね。

↑の写真は、不安を抱えてアメリカにわたった彼女たちが、現地の写真館で撮影した一枚です。中央は最年長の大山捨松。会津藩士の娘です。最年長といいながら、まだ十代半ばだった彼女は、最年少で不安な面持ちの津田梅子を抱きしめ、安堵させるように肩を抱いている。日本の将来を担わされた「敗北者出身」の少女たちの、凛とした姿を伝える写真は、社会人としての第一歩を踏み出したばかりの私にとって、励まされる一枚でした。

男の睾丸を潰すことで金品を得ていた女たちが、この少女たちを守る役目を担うという締めくくりに、どうしてもしたかったんですね。