歴史とは、史実と伝説が混ざって出来上がるもの。
 伝説の混ざらない歴史など無味乾燥。
 詩情のない手紙、香りのない花、
 想像力に欠ける思索のように。
  (ローレンス・オリヴィエ監督・主演映画『リチャード三世』より)



子どもの頃から日本史が好きで、歴史小説や歴史を扱ったエッセイをよく読んできました。大河ドラマなど実在の人物が登場するドラマも大好きでした。
いわゆるBB小説を書く楽しみを見つけてから20年になります。このなかで、いわゆる歴史に題材をとった作品は、卑弥呼の時代から壬申の乱まで続く古代史四部作『日輪の王国』『女神の末裔』『影なる皇女』『茜色の歌姫』、鎌倉時代を舞台の『金蹴り超訳 傾城水滸伝』、江戸時代が舞台の『狼女街』、明治維新期が舞台の『開化玉潰し異聞』、戦前昭和期が舞台の『悪霊』、戦後日本が舞台の『睾丸を蹴られ続けた男』があります。

たとえば、『開化玉潰し異聞』は、勝海舟が晩年に語った、多くの男を色仕掛けでたらしこんでは睾丸を潰して殺した女のエピソードから思い付きましたし、『悪霊』は、農民たちの恨みをかって睾丸を潰されて死んだドストエフスキーの父親の実話が発想の源になっています。
ローレンス・オリヴィエが喝破したように、伝説や想像力(と書いてイマジネーションと訓む)のない歴史など、無味乾燥な記録の羅列に過ぎません。歴史(HISTORY)が、私たちが生きる上での糧となるには、伝説や想像力によって、物語り(STORY)に昇華しなければならない。

今回の『曠野に咲く花』の元ネタは、石光真清という日本陸軍少佐が遺した手記四部作です。石光真清は、明治元(1868)年熊本に生まれました。誕生の年が明治維新です。真清が八歳の時、武士の象徴である佩刀を禁じられたことに憤った熊本市族が武装蜂起する神風連事件が、十歳の時、西郷隆盛率いる私学校が反乱を起こした西南戦争が起こり、いずれも生々しい体験となりました。二十四歳の時ロシア皇大使ニコライ(のちのコライ二世)が来日し、大津で巡査に切りつけられ、ロシアが大軍を寄越してくるのではないかという風評で日本中がパニックに陥る、いわゆる大津事件が起こり、明治天皇は急遽ロシア皇太子を見舞うのですが、真清は近衛兵として天皇の護衛を勤めます。
二十七歳で日清戦争に従軍、三十三歳でシベリアに渡って情報収集に従事するさなか、義和団事件に巻き込まれ、三十七歳で日露戦争に従軍、五十歳を目前にしてロシア革命の勃発と同時に大陸に渡り、石光機関を設立して諜報活動を行うなど、まさに日本の近代史の大事件をじかに体験したわけです。

引退してからは、昭和二十年になくなるまで、自分の体験を綴った長大な手記を執筆し、その一部は、長男の石光真人によって編纂され、四部作の手記として世に出ました。私は大学生の頃、それを読みましたが、昨年、中公文庫から新たな編集で復刊されました。








この四部作のなかでも、特に印象的なのが第二部の「曠野の花」、義和団事件のさなか、満州で出会った馬賊の日本人妻・水野花との交流が中心に描かれています。幼いころ娼婦として売られて大陸に渡り、ロシア人や中国人、朝鮮人しか客に取らなかったほどの日本嫌いだった彼女は、やがて馬賊の棟梁と恋仲になり、ついに妻となって、自らも部下を率いて馬を駆けさせながら拳銃を撃ちまくるようになるのです。普段は、璦琿で宿屋の女主人に身をやつしており、石光真清は情報収集のさなか、その宿に泊まった事で彼女と懇意になるわけです。
やがて義和団事件が起こり、その余波でロシア軍は璦琿やブラゴベシチェンスクで中国人を虐殺する事件を起こします。水野花は、仲間の馬賊とともにロシア軍に抵抗しますが、夫をはじめ仲間はロシア軍に殺され、単身、哈爾浜に逃げ延びた時、偶然、石光と再会するのです。
その後、水野花は、哈爾浜で洗濯屋に身をやつした石光を陰ひなたに助け、石光の事を「心から相談もしたい、教えも乞いたいと考える(唯一人の)日本人」とまで言うようになります。やがて石光はロシア軍からスパイではないかと疑われはじめ、花とともにウラジオストックに脱出し、そこで別れました。花は、長らく離れていた郷里に帰り、その後の消息は描かれていません。
二人が、いわゆる男女の関係になったかどうかはわかりません。ただ、手記に描かれた水野花は、それまで娼婦として、女馬賊として自堕落な人生を送っていたけれど、石光のために献身的に働くことで人間として立ち直る事ができ、その事を深く感謝して、石光と別れた事になっています。
ちなみに、この手記は1998年にNHKでドラマ化され、仲村トオルが石光を、天海祐希が水野花をそれぞれ演じていますが、私は見ていません。

もうお分かりかと思いますが、『曠野に咲く花』は、この『曠野の花』に描かれた石光真清と水野花のエピソードをもとに創作したものです。
もともと、石光真清の手記四部作は、彼自身が書いた原稿そのものではなく、長男の石光真人が編集したものです。今回、中公文庫で復刊された新編では、国会図書館や熊本市に保存されている、石光真清自身が綴った原稿の一部が、手を入れない形で復刻され、附録として載せられていますが、それを読むと、真人は編集する際に文章を完全に書き改め、エピソードの時系列もかなり変えられていることがわかります。
何より印象的だったのは、石光自身が綴った原稿における水野花が果たした役割が、真人が編纂した手記における水野花よりも、ずっと大きかったと描かれていることです。石光真清は、日本陸軍の意を受けて満州やシベリアで情報収集にあたりますが、諜報員として専門の訓練を受けたわけではありません。満州まで渡ってみたものの、一体何をしてよいやらさっぱりわからない……という記述さえあるのです。
一方の水野花は、長年馬賊として危ない橋を渡ってきただけに、度胸もあるし、知恵も働く。石光が危機に陥る度に、水野花の機智で危うく切り抜ける……という場面は一度や二度ではなさそうです。ひょっとしたら、石光の情報活動も、水野花の助けがなければ大した成果を挙げてなかったのではないか、とさえ思えるほど、水野花に頼りっぱなしなのです。

こうして私の頭のなかで、男勝りの女馬賊・水野花のイメージが膨らんでいきました。息子の真人としては、娼婦上がりの女馬賊に助けられなければ何もできない父親のありさまをそのまま世に出すには忍びなく、なるべく父親がかっこよくなるよう、話を盛ったのではないかとさえ思われてきました。

こうして、私のなかで勝手に膨らんでいった水野花が、『曠野に咲く花』のヒロイン・水野ハナです。石光真清にあたる「私」は、実在の石光とは違って完全に受け身のキャラクターとなりました。逆に水野ハナは、描くにしたがってどんどんアグレッシブなヒロインに成長し、ついにロシア軍相手に一人で戦う戦士にまでなったのは、書き始めたころは想定外でした。

脇役のキャラは、ほとんどが私の創作です。小間使いのソヒョンは、『曠野の花』で一場面だけに出てくる水野花の経営する宿で働いていて、石光を璦琿市内見物に案内する子供(性別は不明)を膨らませたのですが、ここまで重要なキャラになるとは、書き始めたときは想像もしませんでした。書いているうちにどんどん好きになり、思い入れの強くなってくるキャラっているんですよね。今回、それが一番強かったのがソヒョンで、その名前は、KPOPの少女時代のメンバーからとっています。

三原ユキは、『曠野の花』では、お米という名前で登場する、水野花と同様、娼婦上がりの馬賊首領の日本人妻をモデルにしています。モテ男・橋口平助と、彼をめぐる女たちのエピソードは、石光真清の手記の三番目『望郷の歌』のKINDLE版に収録された、石光真清が執筆した唯一の長編小説『曹長の妻』にヒントを得ました(この小説は、逃げた恋人を追って満州に渡ったヒロインが、海賊の修業を受け、やがて事業に成長し、不実な恋人への復讐を遂げるというストーリーです)。義和団の女メンバー柳春燕は、今回の作品を書くために義和団について調べるうちに、女だけで構成された紅照灯の存在を知り、ストーリーに取り入れたものです。




なお、この作品には一人だけ、実在の人物がいます。釜山総領事の幣原喜重郎で、後に外務大臣として戦前日本の協調外交を支え、終戦後、総理大臣となります。軍備を放棄した憲法九条は、幣原首相の進言によって実現したとマッカーサーが回顧録に記している人物です。石光真清は手記で、釜山に赴いた折、総領事の幣原に会ったと記しており、そのエピソードをもとに膨らませました(これは石光の記憶違いらしく、幣原が釜山に赴いたのは、石光が大陸での諜報活動を終えて帰国した後です)。
実際の幣原が、若いころから軍備なき世界を夢想していたかどうかはわかりません。ただ、各国が軍備を放棄すれば世界平和が実現できるという運動は、第一次世界大戦が終わったころから始まっており、憲法九条には、それなりの歴史を持つ人類の夢が込められているという事実は、最後に記しておきたいと思います。