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KEKEO'S BALLBUSTING WORLD(http://kekeo1964.web.fc2.com/) の管理人の日記です。

カテゴリ: 悪霊備忘録

ついに、『悪霊』連載完結です! 

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いやー長かったなー。ここで掲載を始めたのは2013年の年末でしたけど、実際に書き始めたのは2008年頃ですからね。途中、長い中断は挟みましたが、およそ7年にわたって、伊集院満枝をはじめ愛すべきヒロインたちと付き合ってきたわけで、本当に名残おしゅうございます。

途中途切れそうになりながらも、なんとか書き続けてこれたのは、最近の日本政府への怒りでしょうか。

でも触れましたけれど、現政権の歴史修正や対アジア外交に見られるトンチンカンなマチズモへの言うに言われぬ不快感が、原動力になったように思います。つい最近もユネスコで日本が馬鹿やらかしたらしいですが、今回のエピローグにも一部、そういう日本政府への批判が入っています。

ところで、このお話のクライマックスである昭和10年2月26日(アンダーラインの意味に気づいた方、偉いぞw)の青年将校蹶起にまつわる「宮様」の動きですが、これは決して私の頭のなかで作り上げた妄想ではなく、当時囁かれていた噂を取り入れたものです。詳しくは『仁義なきたたかい』等で知られる脚本家笠原和夫の著書『昭和の劇』を読んでいただきたい。実際、実在の「宮様」がこの物語に近い動きをするプランがあったらしいという話が出てきます。




 
そんなふうに、この物語には、私の仕事と関わりのある近代史についての小ネタが結構使われています。というか、話が行き詰まるたびに、仕事のために読まなければならなかった近代史の文献によって、ストーリー展開を思いついたり、新しいキャラを出したり、という事がよくありました。
第十一部でいえば、仕事上、読まなければならなかった磯部浅一の手記や、岡田啓介の回顧録などにずいぶんヒントをもらいました。というか、このお話では無惨に去勢されて死ぬ羽目になった岡田啓介、本当はとても偉い人ですからね。『日本でいちばん長い日』が(よせばいいのに)リメイクされたりしましたが、実際はこの人がいなければ日本の終戦はなかったのではないかと言われているほど、腹の据わった策謀家(いい意味での)だった偉物です。


岡田啓介回顧録 (中公文庫)
岡田 啓介
中央公論新社
2015-02-21



まあ、何はともあれ、わがいとしのヒロインたちを、それなりの地点に着地させられた事は、結構満足しています。特に、最初はずっとこのまま紅軍兵士として活動するのだろうなと思っていた喜代美や佐和子が、思わぬ展開で「足抜け」できたことは本当に嬉しいですね。私は、「だいにっぽんていこく」的マチズモは大嫌いですが、共産党的ファロクラシーも大嫌いですから。実は昨日まで、どうやったら喜代美と佐和子を「足抜け」させられるか結構悩んでいたのですが、彼女らを、安西小百合、そして悦子と会わせる段取りを考えているうちに、「これだ!」という手が浮かんだわけです。
特に、猪俣佐和子という、誰よりも思い入れの強いヒロインが、それなりにハッピーエンドを迎えられたのが何より嬉しいですね。ああいう、どこか心がねじけてしまった女の子が、さまざまな経験を経て強くなり、自信を得るというのは、最高の物語ですから。

ちなみに、金沢文子が身を寄せる奈良県の神社も、モデルがあります。ご興味があったらググってみてください。とても素敵な宮司さんがいらっしゃいます。この作品でどうやって登場させるか、当初は、この神社を舞台に、安藤澄が大暴れする展開も考えたのですが、前にも書いたとおり
つまんねー奴を中心に話を転がすことくらい苦痛な事はないので、最後の最後に、ああいう形で出すことができて、よかったと思います。あの場所ならば、文子や佳代も、根をおろして幸せになれそうな気がします(小沼健吾は、やっぱりこれからもふらふらと落ち着かない人生を送りそうな気がしていますが)。

で、わが最大のヒロイン伊集院満枝ですが、いやー、絶世の美女が打ちのめされ、惨めに這いつくばる場面を描くのは、興奮するもんですね! 唇から血を流しながら仰向けに倒され猪俣佐和子にのしかかられる場面は、本当に書きながらぞくぞくしました。
で、このひとは、もう一生暴れるしかないです。居場所なんかありません。李麗姫や韓愛子と仲良し三人組で、ずっと暴れ続けてくださいな。なんかねえ、やっぱりこの三人は、著者の手に負えません。最後まで、彼女らは着地させられませんでした。着地させられなかったからこそ、今後も颯爽と暴れるんだろうなと微笑ましく見守っていきたいと思います。

この三人を主人公にして、『グッド、バッド、ウィアード』みたいなスピンオフ作れるかな、と書きながら思いつきました。




ただ、ここでひとこと付け加えておきます。


この物語では、李麗姫や、韓愛子など、マイノリティへの差別に対して人並み外れた技で対抗する女性を登場させましたが、実際、今の日本においても、同様の差別に対してたたかっている女性たちは数多くいます。大勢の男たちを瞬殺できるような女性は、ファンタジーにしか存在しません。

本当にマイノリティへの差別とたたかっている女性たちは、物理的な暴力に対する無力さをかみしめながら、それでも、使いうる武器(言葉)で、必死にたたかっています。

かつて、韓国社会に於ける女性への暴力をテーマに映画『息もできない』を監督・主演したヤン・イクチュンは、「女性にも、男性と対等に戦える力があればいいのに」とインタビューで答えていました。この物語は、このヤン・イクチュン監督への限りない共感の上に生み出されたファンタジーです。


まー、何はともあれ、完成することができました!












 

 

悪霊」第十部を掲載しました。

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およそ一年ぶりの更新になってしまいました(こんな調子で書いてて、誰か読んでるんですかね?w)。

去年の晩春くらいに、金沢文子が奈良に去るまでは、わりとスムーズに進んでいたんですよ。で、その後、1年近くぜんぜん進まなくなっちゃったんですね。

最初の構想では、奈良で宝探しする安藤助教授を中心に、いろいろ奇っ怪な連中が入り交じってのどたばた劇を構想していたんですが、なんだか書いては消し、書いては消しの連続で、ひどい時には10頁近く書き進んだのに、気にくわなくて全部消しちゃったりと、そんな感じだったんですよ。そうこうしているうちに、仕事で新しいプロジェクトが始まって忙しくなったりしたこともあり、1年近く休んじゃうことになっちゃったんですね。

で、そのプロジェクトが一段落ついて、あらためてこれまで書いた部分を読み直してみて気づいたのは、要するに、自分が構想していた展開の中心人物たる帝大助教授・安藤澄が、ちっとも魅力的なキャラじゃないって事です。

安藤澄というキャラは、戦前に日本万歳的な右翼的な書物を書き散らし、軍部にも信奉者が多かった平泉澄という人物で、この人についても資料を調べたりしましたが、調べれば調べるほど、つまんねー奴なんですよね。なぜこの人物を出したかというと、いまほら、いるじゃないですか。日本をひたすら持ち上げて、隣国をひたすらけなして、金稼いでる奴。こういう奴とかこういう奴とかこういう奴とかこういう奴とかさ。僕も一応、出版社勤務でマスコミの末端の末端あたりにいる人なんで、こういう人たちの素のキャラを知らなくもないんだけど、ほんとに
つまんねー連中ですよ。で、はたと気づいて、つまんねー奴を中心にお話を作ったって、そりゃつまんねーに決まってる。そう気づいた僕は、さっさとつまんねー奴はご退場願いましょ、とああいう展開にしたら、とたんにスムーズにお話が進み始めたんですよね。

おかげさまで、当分出てこれないかなあと考えていた、猪俣佐和子と飯島喜代美という、自分的にはお気に入りのコンビが構想していなかった大活躍をしてくれたりしました。要するに物語を動かそうと思ったら、魅力的なキャラを中心にするしかないって事なんですよね。

ちなみに、冒頭部分で登場する津島修治(太宰治)、菊池寛、馬海松、佐藤碧子といったキャラは、実在の人物です。このあたりについては、在任最短記録をつくった前東京都知事の著作を参考にさせていただきました(毀誉褒貶ある方々ですが、この方の文学史をテーマにした著作には教わるところが本当に大きいです)。





あと、やんごとなき某女性が怪しげなカルトにはまっていたという設定も、一応、モデルとなる史実があります。

神々の乱心〈上〉 (文春文庫)
松本 清張
文藝春秋
2000-01-10

神々の乱心〈下〉 (文春文庫)
松本 清張
文藝春秋
2000-01-10




さて、続く第十部はすでに書き始めています。近代アジア史上の巨人が登場する予定です。




 

「悪霊」第九部を掲載しました。

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実を言いますと、最初の構想では、今回のクライマックスである「党」内部のリンチ殺人事件で話が終わる予定だったんですよね。猪俣佐和子も喜代美も、もちろんリンチに立ち会って、というか彼女らが同志を去勢して殺害し、それによって「党」は壊滅する。。。で終わりになるはずでした。私がこの作品を書く上でモチーフにしたドストエフスキーの「悪霊」がまさにそういう終わり方をしていますから。

そういう当初の設定が変わってしまったのは、理由がありましてね。というのは、この事件のモデルである戦前日本共産党のスパイ査問事件について調べれば調べるほど、 実にくだらない事件であって、そんなくだらない事件にわが愛するヒロインたちを関わらせたくないと思うようになったんですね。
どうしようかと思いあぐねて何気なく年表をめくったら、実はこの事件があった昭和八年に、有名なスパイであるリヒャルト・ゾルゲが来日していることがわかった。日本と中国に一大諜報網をつくった大物スパイを絡ませることで、わがヒロインたちにリンチ事件なんぞよりダイナミックな活躍の場を与えられるんじゃないか。そっちのほうがずっと面白そうだと思ったわけです。

今のところ、大陸に渡った佐和子や喜代美がどんな活躍をするかは作者である私にもわかりませんが、おそらく、意外な形で日本に凱旋してくることになると思います。

一方の、朝鮮部落での「人民裁判」ですが、これは無論、モデルとなる事件はなく、完全なフィクションです。と言いますか、これまで私は、実際の歴史年表にそってお話を展開してきましたけれど、この第九部以降は、かなり実際の歴史とは違った展開になる予定でいます。架空の登場人物たちだけでなく、日本国家そのものの歴史の歩みが、実際とは違ったものになっていくはずです。



ゾルゲ事件とは何か (岩波現代文庫)
チャルマーズ・ジョンソン
岩波書店
2013-09-19















 

「悪霊」第八部を掲載しました。


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プロの小説家は知りませんが、ぼくなんかはアマチュアですから、小説をどう展開させ、どんなふうに終わらせるかなんてことを、あらかじめ決めて書き始めるわけではありません。

それにしても、今回の『悪霊』の行き当たりばったり感はなんでしょうか? 当初の目論見では、第七部で描いた銀行襲撃事件が山場で、その後に訪れる、戦前の日本共産党の息の根を完全に止めたある事件で終わるはずだったんですが、多分、そうはなりません。今回、さるやんごとなきお方や、皇道派青年将校たちが登場したことで察しがついた方もいらっしゃるでしょうけれど、おそらく、昭和日本史を揺るがした、あの大事件までを描くことは、ほぼ確実です(くり返し申し上げますが、この小説はフィクションであり、いかなる実在の人物や団体とも関係ありません!)。

いや、それで終わるのかなという危惧も、実はあります。というのは、現在、第九部を執筆中ですが、昨年大ヒットした宮崎駿監督の『風立ちぬ』にも出てきたとあるドイツ人(軽井沢の別荘地に出てきて、警察を恐れて逃げ出したあいつです)が登場しちゃいました。あいつが出てきたからには、多分も出てくるし、この方も出てくるかもしれません。

いったい、どこまでいくんだ、この小説????

とりあえず、いま、ぼくの頭の中にあるのは、荒涼たる焼け跡に対峙する彼女と彼女、という風景で終わるだろう、ということです。そうなるかもしれないし、ならないかもしれません。









 

「悪霊」第七部を掲載しました。

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第六部を掲載してから一ヶ月以上がたってしまいました。お待たせしました。

今回は、戦前、日本共産党がやらかした「銀行ギャング事件」を元ネタにしています。

事件の詳細については、立花隆さんの「日本共産党の研究」および松本清張「昭和史発掘(5)」所収の「スパイMの謀略」に詳しいので、興味のある方はぜひ、お読みください。




 

もちろん、実際の事件とはかなり変えていますが、特高警察が送り込んだスパイに踊らされ、日本共産党が美人局やらギャング事件やらを引き起こして世間の顰蹙をかった挙句、壊滅していく課程は、結構史実に沿っています。

もちろん、猪俣佐和子や、海老沼千恵子が絡むあたりはフィクションですが、それにしても、「真面目にがんばるのだけど、何をやってもうまくいかない」猪俣佐和子は、書きながらすごく切なくなりました。「何をやってもうまくいく」伊集院満枝とは対照的だなあ、と作者のくせに他人事みたいに思ってしまう今日このごろです。

ともあれ、第七部は愛すべき不器用ヒロイン・猪俣佐和子がメインの回でした。かわいそうなくらい彼女を落ち込ませてしまった以上、第八部(実はさっき書き終えました)は、伊集院満枝メインとなり、しばらく鳴りを潜めていた女たちが続々復帰し、
魑魅魍魎たちの一大乱痴気騒ぎが展開され、去勢される男の数は、「悪霊」史上最多となってしまいました。

お楽しみに!











 

「悪霊」第六部を掲載しました。

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まあ、とにかく大変です。あの純情だった小百合は未亡人になり、小沼健吾が右翼に転向、猪俣佐和子の怪物化はとどまるところを知らず、相変わらずなのは、伊集院満枝だけでしょうか。
ああ、そういえば、我らが佳代ちゃんも相変わらずで、ほんとうにこの娘は、どんな悲惨な目にあおうとも、どんなに状況が変わろうと、最初に登場した時と同様、自分らしさが揺らぐことがありません。

なんて、自分が書いた作品のキャラにもかかわらず、他人事みたいなことを言っておりますがw、実際問題、これが正直な感覚なんですね。

ぼくは、あくまでアマチュアですので、気分が乗らないと作品を書くことができません。その「気分が乗る」とはどういうことかというと、自分にとって実在感のあるキャラクターと、そのキャラが思う存分暴れられる設定を思いついた時です。

第一部の備忘録に書いたとおり、この小説は、『大菩薩峠』という小説の世界観のなかに、伊集院満枝というキャラを置き、彼女の周囲に、佳代や佐和子、小百合といった地味キャラを配した事で、物語が動き始めました。不思議なもので、作者である自分が彼女らや他の登場人物を思うまま動かしているというより、彼らが勝手に動いているのを必死に追いかけている感じなんですね。

そして、彼らだけでは世界が動かなくなったとき、執筆の手が止まります。数年前、この第六部の途中まで書き上げて、それから昨年末まで書けなくなったのは、第二部の備忘録に書きましたとおり、生活の変化が大きいのですが、ふくらみ始めた世界を動かすにはコマ不足に陥ったことも一因でした。

そこで登場したのが、第六部でお目見えする金沢文子です。

彼女にもモデルがあります。金子文子という大正時代に大逆罪で裁かれた反体制活動家です。彼女についてはすごく言いたいことが山のようにあるのですが、YouTubeに簡潔にその生涯をまとめた動画が掲載されていますので、そちらを参照してください。




ご興味があれば、彼女が獄中で書いた手記も刊行されていますので、お読みください。二十歳そこそこの女の子が書いたとは思えない名文です。





ぼくは、この金子文子の大ファンです。実在の彼女は、この『悪霊』が始まる数年前に亡くなっているのですが、なんとか自作のなかだけでも活躍させたいと、金沢文子と一部名前を変えて、登場させたわけですが、おかげさんで、物語が再び動き始め、こうやってサイトを復活させる原動力にもなってくれました。

ちなみに、これは最近気づいたのですが、金沢文子(かなざわ・ぶんこ)というAV女優さんもかつていらしたんですねw うちの金沢文子は「かなざわ・ふみこ」と読みます。





というわけで、「悪霊」まだまだ続きます!


 

「悪霊」第五部を掲載しました。

ちょっと解説めいたことを書きますと、今回出てくる探偵作家はもちろん、江戸川乱歩がモデル。この人、「人間椅子」だの「芋虫」だのから想像されるように、ちょっとMっ気がある人なんですね。同時代には谷崎潤一郎という一大M男作家がいたりして、日本文学史はなかなか変態なんですが、一方でこの時代の日本文学でさかんに取り上げられたのが、カフェの女給さんです。

現在のアメリカなんかは未だにそうですが、戦前の日本でも、現在で言うウェイトレスさんの収入は、お客さんからのチップだけだったみたいなんですね。となると、たんに注文をとったり、食事を運んだりするだけではなく、お客さんと会話してもてなすこともお仕事のうちだったみたいです。とはいえ、ホステスさんとかキャバクラ嬢のようにべったりお客にくっつくわけでもなく、今の日本でいちばん近い職業は、おそらく秋葉原のメイドカフェのメイドさんじゃないかなと思います。

実際、当時の女給さんの標準的なスタイルは和服にひらひらのついたエプロンなんですが、これがまたどことなくメイドカフェのメイドさんにそっくり。 手首足首まで着物で隠す露出度の少ないコスチュームに、より「萌え」を感じるあたりも、今も昔も日本の男は「おたく」だったんですよね。

 p805


ちなみに、今回重要な役目を果たす女給の直美さんの名前の由来は、言うまでもなく大M文豪・谷崎潤一郎の「痴人の愛」のナオミさん。まあ、こういうネーミングのお遊びは、小説を書く上での醍醐味です。

というわけで、第五部までアップしてしまいました。第七部までは書き上げているのですが、その続きは現在ちょっと書きあぐねています。ひょっとしたら、箸休め的に、別の短い作品でも書いてみようかなとも考えています。

 

第四部をアップしました。

この物語に出てくる女性は、いずれも自分にとって思い入れのあるキャラクターですが、特に好きなキャラをあげろと言われれば、猪俣佐和子かもしれません。

主役の伊集院満枝と違い、深いコンプレックスを抱き、人から愛されたいと望みながら、自意識の強さゆえに失敗を重ねていく。失敗を重ねながら、這い上がろうとあがき、あがく過程のなかで芋虫がさなぎに、さなぎが蝶々に変貌(メタモルフォーゼ)していくように変わっていく。

もう一人の地味キャラ、安西小百合も、結婚、そして十二歳の不良少女・悦子との出会いによって、変化の兆しが見え始めます。伊集院満枝という強烈な存在になぜか好かれてしまったがために怯える一方だった彼女が、地味なりにアグレッシブなキャラへと変わっていきますので、ご期待ください。

さて、この小説を書き出した時から、実在の人物を物語に絡められないかと考えていました。やっとそれができるまで、お話が進展してきたのが、この第四部です。

たとえば、伊集院満枝が、女抗日パルチザンの李麗姫と出会う時に投宿したホテルのロビーで、商社員と雑談をかわすジャーナリストが出てきますが、あれは一応、大宅壮一氏の事です。

大宅壮一氏は、大宅壮一ノンフィクション賞にその名を残す大ジャーナリストであり、女性評論家の大宅映子さんの父親ですが、大宅さんは戦前、抗日ゲリラが出没する間島を取材し、立派なルポルタージュを残しています。その後、戦乱の大地の雰囲気に取り憑かれたのか、さかんに中国にわたってルポを残すのですが、そうしたなかに、気味の悪い文章があります。

日中戦争が始まり、大宅氏は日本軍に従軍して、南京攻撃を取材します。雑誌に連載されたルポルタージュは、いよいよ日本軍が南京に突入という寸前で、突然中断する。そして、次の回は、南京戦の後、自分は「蒼惶として(慌てふためいて)」帰国したが、やはり戦場を見たくなって再び中国に渡った、と。

大宅氏が従軍した南京戦は、言うまでもなく、いわゆる「南京事件」あるいは「南京大虐殺」 と呼ばれる歴史的事件が起こった時です。虐殺があったかなかったか、いろいろと議論はあります。「南京虐殺はなかった」派の論客は、大宅氏がこの時のルポで虐殺について一行も書いていないから、なかったんだと主張する人もいましたけれど、実のところ大宅氏は、日本軍が南京に突入してからのことは、何も書いていません。
そして、大宅壮一全集の月報に寄せられた文章によりますと、戦後、大宅氏が電車のなかで、南京で日本軍がどんなひどい事をしたかを語っていたそうです。

以上は、司馬遼太郎風に言えば「余談」でありますが、むかし、大宅壮一氏について調べる仕事を引き受けた事があり、その時の思い入れがあったものですから、大宅氏を小説の中に「特別出演」させたという次第です。

それから、伊集院満枝が満州で出会う関東軍参謀・石原中佐なる人物が出てきます。これは「世界最終戦論」を書いた石原莞爾の事であろうと、気づかれる方も多いと思います。実際の石原莞爾は、非社交的な人物で、ホテルでのパーティに顔を出すような人ではなかったらしいのですが。

ちなみに、猪俣佐和子が絡む村野栄太郎や、佳代が相手する大橋多喜蔵は、いずれも実在人物をモデルとしています。岩波文庫に、モデルとなった人物の著書がいまだに収録していますので、興味のある方は、いろいろググってお調べください。

というわけで、続きも乞うご期待!

ぼくが大好きな映画監督の一人に、韓国のパク・チャヌクという人がいます。とにかく、エネルギッシュで残酷でパワフルな映画を作り続けている人で、昨年、ミア・ワシコウスカとニコール・キッドマンという美人過ぎて怖すぎるオーストラリア出身女優を母娘役で共演させた『イノセント・ガーデン』 でついにハリウッドに進出し、記録的な大コケだったらしいのですが、すんごく面白い作品でした。


 


で、この映画『イノセント・ガーデン』 はどんな作品かと言いますと、「思春期で肉体的にも精神的にも揺れ動く美少女が、とある異性の出現で変貌(メタモルフォーゼ)を遂げ、恐るべき殺人鬼に成長していく」という、とんでもない映画です。

パク・チャヌク監督は、こういう「少女がメタモルフォーゼしてとんでもないモンスターになっていく」ドラマが大好きで、その代表作は『親切なクムジャさん』で、日本でも大ヒットしたドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主演女優イ・ヨンエを主役に、「高校時代、好きだった先生とエッチするが、その先生は実は幼児を虐待して殺すのが趣味で、自分の罪を彼女になすりつけて刑務所に送り込み、刑務所送りにされた女子高生は十数年後絶世の美女となって、刑務所内で籠絡した女たちを味方に、幼児虐待殺害マニアの先生に復讐していく」と、粗筋を書いただけでくらくらすうるような傑作です。





まあ、男にとって女性は「永遠の謎」ですから、「純粋無垢そうな少女が、とあることをきっかけに暴走し始め、理解不可能なモンスターとなって男に襲いかかってくる」という物語は、割合に普遍性を持っているのですね。

その意味で今回、「悪霊」という小説を書き続けて、作者である私ですら制御不可能な暴走を始めたのが、猪俣佐和子というキャラでした。

最初は、伊集院満枝という、美貌にも資産にも恵まれすぎたモンスターが活躍する話になるはずだったのが、地味な容貌で、引っ込み思案な猪俣佐和子というださい名前の女の子が、たまたま、伊集院満枝という化け物に愛されてしまったがために、一大暴走をしはじめる物語に変わってしまったんです。

今回アップロードした第三部は、猪俣佐和子暴走の序章に過ぎません。これから彼女は、さらにさらに暴走を重ねていきます。そんなふうになってしまうきっかけを作った伊集院満枝はというと、なんの責任も感じたふうもなく、自分は自分で暴走し、ついに「満州」という、戦前の日本国家を破滅に導く要因の一つとなった場に軽々と飛んでいきます。

というわけで、伊集院満枝というキャラは、「第一部についての備忘録」でも書いたように、明快なモデルとなる実在人物(原節子さま♪)がいるのですが、猪俣佐和子については、書いている本人にも、どんな顔をしているのかまったくイメージが浮かびません。
なぜなら彼女は、これかだどんどん変貌(メタモルフォーゼ)を遂げていくからです。

彼女を見守ってやってくださいまし。

 

というわけで、「悪霊」の第二部「支那の三角帽子」を掲載しました。

前回のブログ「悪霊(第一部)についての備忘録」でぼくは、この小説のモチーフになった作品として、幕末を舞台にシリアルキラーの剣豪がなんの理由もなく人を殺しまくる「大菩薩峠」があったと述べましたが、もうひとつ、重要な作品があります。

第二部を読まれて、お気づきの方もいると思いますが、ドストエフスキーが書いた「悪霊」という小説があります。

ドストエフスキーの「悪霊」は、十九世紀ロシアで、革命を目指す社会主義者グループが、仲間の結束を強めるため、同志の一人にスパイの濡れ衣を着せ、リンチした挙げ句に殺害してしまうネチャーエフ事件を題材にしています。年にポーランドのアンジェイ・ワイダ監督によって映画化されましたから、ご覧になった方も多いかも知れません。
こうした事件は、その後も非合法活動グループによく見られました。日本でも、戦前の日本共産党が、同志をスパイではないかと査問中に殺害してしまった事件があり、その結果、日本共産党は壊滅します(査問にあたった中央委員長が、戦後、長らく共産党委員長として独裁的権力をふるった宮本顕治氏だったりします)。戦後も、連合赤軍が官憲から追い詰められて山に籠もり、その際、数多くの仲間をリンチで殺した事件が起こりました。数年前、故・若松孝二監督が「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」という映画でリアルに再現しました。




こうした歴史的背景もあり、20世紀末にソ連をはじめとする東欧の社会主義諸国が崩壊した時期、「悪霊」の再評価が行われました。さらに近年、ロシア文学者の亀山郁夫氏が「悪霊」の新訳や 最新の研究成果ともとにした研究書を刊行しています。

悪霊 (上巻) (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
2004-12


謎とき『悪霊』 (新潮選書)
亀山 郁夫
新潮社
2012-08-24



ところで、亀山氏の著書を読んで知ったのですが、ドストエフスキーが社会主義について関心を持ったきっかけの一つは、父親の死でした。ドストエフスキーの父親は大地主でしたが、恨みを抱いた小作人に睾丸を潰されて殺されたらしいのですね。

今回、ヒロインの伊集院満枝が、かつて父親が所有する土地で小作人をやっており、現在は非合法活動に従事する小沼健吾に資金援助をしたり、その運動にクラスメイトの猪俣佐和子が関わったりと、本作では戦前日本における社会主義 が大きな要素になっています。
前に述べたとおり、戦前の日本共産党は、官憲の弾圧などの逆風のなか、最後は同志をスパイとしてリンチし殺害するという末路を辿ります。あたかもドストエフスキーが「悪霊」で描いたことが再現されたわけです。

そうした史実に、小作人(本作では女性としました)に睾丸を潰されて死んだ大地主の娘が「睾丸潰し」に取り憑かれるという「大菩薩峠」的要素を交える。そうした思いつきで書き始めたのですが、なにせ前回のブログで書いたとおり、重役に睨まれてリストラ部屋で暇だったものですから、第五部までは割合に短期間(数ヶ月)で書き進めることができました。戦前の日本共産党史という歴史を柱にすることによって、実在の事件や人物を登場させることも容易になりました(今後、様々なキャラクターが登場しますので、お楽しみに!)

ところが、第六部を書き始めたころ、私をリストラ部屋に追いやった重役が退任し、元の部署に復帰することになりました。約一年のブランクは結構大きく、仕事のカンを取り戻すだけでもかなりの時間と労力が必要でした。そのため「悪霊」執筆は中断され、勢いに任せて書いていただけに、一度中断するとなかなか再開する気にもなれず、結果的に2009年ころに中断してから4年間、まったく進まないまま、こんにちに至ってしまいました。

それが、最近になって再び書く気がわき起こったのは、ここ一年の政治状況です。戦前の日本は軍国主義と言論弾圧というイメージが強いですが、実は時代によってはそんなこともなく、特に大正時代はかなり自由でリベラル、平和主義的な空気が濃かったのです。ところが関東大震災(とそのどさくさに起こった朝鮮人虐殺)によって時代の雰囲気は大きく変わります。悪名高い治安維持法が制定され、反社会的集団は徹底的に弾圧されました。
もともとこの法律は共産党の取締が目的だったのですが、上記のリンチ事件で昭和10年頃には共産党は壊滅したにもかかわらず、政府は同法を拡大解釈し取締対象を広げ、創価学会のような宗教団体や、右翼団体もがターゲットとなり、そういう運動が鎮まった後は、ほとんど言いがかりとしか言えない理由で検挙活動が続けられました。太平洋戦争末期、三木清のような、どちらかというと戦争を積極的に賛美した学者までが獄死する事態となったのです。
そして同じ時期、軍部は「排日(反日)」的になった中国を「懲らしめる」と唱えて大陸で軍事活動を活発化させました。日本人の意識のなかでは、悪いのは「国際社会の常識」を知らない野蛮な中国であり、日本は文明にそって戦っているのだと思いこんでいました。当然、国際社会は日本の肩を持つはずだと信じ切っていたら、意外にも国際社会は、日本側を批判した。逆ギレした日本は、国際社会を敵に回した大戦争をおっぱじめ、結果的に全国が焦土と化したのです。

こうした歴史が再現されかねない時代が始まっている。「日本を取り戻す」と唱え、中国や韓国の脅しには屈しないと威勢だけはいい(内実は腰砕けだけど)安倍内閣が衆院に続いて参院でも勝利したとき、いや~な予感を覚えました。ぼく自身は、左翼でも、九条絶対主義者でもありませんが、日本を覆っている「没落しているのではないかという不安から、他国に対して威勢のいい指導者」を求める空気は、まるで無謀な戦争に突入していった戦前昭和の日本と同じじゃないか、と感じられたのです。
いやな予感は、公約にも施政方針演説にもなかった「特定秘密保護法案」が突然議会に上程され、ろくな審議もないまま可決されそうになった時期に頂点に達しました。

そんな「いやな予感」「今という時代への違和感」が、再び「悪霊」を書き続けようというモチベーションへとつながりました。特に、現在の与党が帯びている「空虚なマッチョイズム」、それを粉砕したいという気持ちは、実は気がつかないまま以前から自分の内部にあり、それがヒロイン伊集院満枝の「男たちは、その醜いものをもって、私たち女の体を刺し貫く」「心まで刺し貫かれるのは、まっぴらよ」という台詞につながったのだなと気づいた時、自分が生み出して、途中まで育ててきたヒロインの物語を、最後まで書かねばという気持ちになったわけです。

おそらく、第六部までは、毎週掲載していくと思います。その後は、完結までどのくらいかかるのか見当もつきません。応援よろしくお願いします!







 

さて、新連載小説「悪霊」ですが、ぼくが最後にBB小説をネットで発表したのは2005年の「私の名前はエイミー・キム」(自作小説集というところにあります)ですから、実に8年ぶりの発表なんですね。

といっても、実を言いますと「悪霊」を書き始めたのは、結構前なんです。おそらく 2008年頃じゃないかと思います。その頃ぼくは、急病にかかったのと、ある会議で会社の取締役の間違いを指摘して恥をかかせたのとダブルパンチで、窓もない狭い個室をオフィスとして与えられ、ろくに仕事もないという状態になったんですね。いわゆる「リストラ部屋」行きだったわけですがw、鈍感な私は「わーい、誰も見られない部屋で一日中遊んでられるなあ」と大喜びだったんですから、始末が悪い。

好きな本を読んだり、ネットで調べ物をしたりと、今から思うと贅沢な時間でした。そんななか、「青空文庫」という版権の切れた日本文学が読めるサイトで「大菩薩峠」という戦前の小説を読み始めたんですね。

「大菩薩峠」は、中里介山という作家が、1913(大正2)年から1941(昭和16)年の、太平洋戦争勃発直前まで書き続けた、全41巻の未完の大長編小説です。幕末の日本を舞台に、ニヒリスティックな剣豪・机龍之介を主人公とした一大群像劇。何度か映画にもなっていて、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、市川雷蔵、仲代達矢といった名優が、主人公を演じております。

↓市川雷蔵主演、1960年の映画の予告編です。





なにせ、筆者が「世界一長い小説を書いてやる」という意気込みで、死の直前まで28年にわたって書き続けただけに、とにかく長い! リストラで閑職に島流しになったからこそ、最後まで読み通したわけです。

で、この小説、かなりヘンです。

主人公の机龍之介は、名門剣術道場の跡取りで、自身、剣の名人なんですが、この人、生まれついてのシリアル・キラーです。小説は最初、現在の青梅街道の東京と山梨県の境あたりにある大菩薩峠で、一人の老いた巡礼が、いきなり主人公に斬殺されるんです。理由なんかありません。この机龍之介、とにかく人を斬るのが好き。それも、強い相手と戦うのではなく、行きずりの老人や見知らぬ女を、なんの理由もなく斬る(斬られた老巡礼は、孫娘を連れて旅していて、祖父を殺され孤児となった彼女を、義侠心に富む泥棒が助けるのが冒頭のエピソードで、正直、この「悪霊」の出だしにも参考にさせていただきました)。

とにかく、机龍之介は、日本文学が初めて生み出したシリアル・キラーです。夜になると、「ああ、人を斬りたいなア」とほざいて外に出て、出会った奴を斬り殺す。こんな主人公の時代小説が大ヒットした戦前日本ってどんな世界だったのだろうとあきれるしかありません。
物語は、机龍之介に兄を殺された武士の仇討ちの旅や、龍之介に殺された老人の孫娘、龍之介を利用しようとする新選組や悪旗本、そういた面々と関わる夥しいキャラクターたちが織りなす群像劇で、小説の舞台となる幕末の江戸幕府が崩壊しゆく不安定な世情と、執筆時の昭和日本が軍部台頭、全体主義化、そして戦争へと突入していく「滅びの感覚」がマッチしていて、不思議な世界を作り出しているわけです。

んで、これを読んだ私は、「この主人公を女に置き換えて、男の金玉を潰すことに取り憑かれたヒロインをめぐる群像劇ができないかなあ」と思いつき、そこで生まれたのが、本作のヒロイン・伊集院満枝です。ぼくは小説の主人公(BB小説ですから、当然女性です)の造形する際、実在の人物・・・知人だったり、有名人だったり、映画のキャラだったり・・・を想像しつつ描くのですが、今回、ヒロインのモデルとなったのは、名女優・原節子さんです。

原節子さんは、戦前から戦後にかけて数多くの映画に出演し、エキゾチックな美貌と、独特の聖なる雰囲気で人気を博した大スターです。ぼくはたまたま、原さんが十代の頃に出演した映画(「河内山宗俊」「新しき土」)を見ていますが、とにかく、現在もてはやされてる女優さん(および女優もどきのタレント)が裸足で逃げ出すほど、「絶世の美少女」でした。

↓ドイツの映画監督が来日して撮影した「新しき土」。16歳の原節子さんの美を堪能せよ!



ともあれ、小説を読んでいただく際には、十代の頃の原節子さんを思い浮かべていただければ幸いです。

もう一つ、本作のモチーフとなった作品があるのですが、それについては、第二部を掲載した後に書くつもりです。
 

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